MMORPGのリリースには、良くも悪くもタイミングが重要なことがあります。「EverQuest II」は、「World of Warcraft(WoW)」のわずか2週間前に発売され、「史上最悪の発売タイミング」と言われました。
SOEが満を持してリリースした「EverQuest」の続編がその後、競合相手に押され、開発チームはEQIIをWoWや他の現代的なMMORPGに近いものにしようと動き出しました。これによって初期のゲームデザインとフォーカスの多くを放棄することになり、かつてのゲームとの違いを知らないプレイヤーにはショックな内容も含まれていました(「EQはグループ向きなのに、EQIIはソロ向きじゃん」、etc)。
そこで、本日の「ゲーム考古学」では、2004年当時の「EverQuest II」が現在の作品とどのように異なっていたかを紹介します。
「エバークエスト II」は重かった
「World of Warcraft(WoW)」がこれほどまでに大きなシェアを獲得した要因として、Blizzardが当時プレイヤーが持っていたほぼすべてのPCで動作するようにゲームを最適化したことが見落とされがちです。これは、SOEのアプローチとは真逆で、EQ2はビジュアルを全面に押し出したために、より高性能なPCと最新のグラフィックカードが必要でした。
「EverQuest II」は、前作よりもビジュアルが向上していましたが、システム要件と最適化が不十分だったため、多くの人がこのゲームに飛びつくことを断念しました。一部のプレイヤーは、ゾーンの切替や起動画面ですら数分も待たされたと言われています(EverQuest IIの世界はシームレスではなく、ゾーンごとに分割されています)。
サブスク(月額課金)だった
当時の他のMMORPGと同様、「エバークエスト II」で遊ぶには、毎月のサブスク(課金)が必要でした。実際、2011年に「基本無料プレイ」に切り替わるまで、このビジネスモデルを維持していました。
「拡張パック」がすぐに出なかった
「EverQuest II」の拡張パックがいかに多いかを考えると、SOEがこの年中行事をどのように抑制していたのか、驚かされます。むしろ、当時は「冒険パック」、つまり「ボリュームそこそこの有料アップデート」を、より早いペースで提供しようとしていました。2005年に2つの冒険パックがリリースされましたが、すぐに拡張パックのモデルに切り替わり、それ以降は「冒険パック」をほとんど発売しませんでした(2006年と2015年に2つリリースされただけ)。
「EQ1超え」を目指していたのに
SOEは決して口にしませんでしたが、「EverQuest II」が「EverQuest」の人気をさらに高める、魅力的な作品になることを期待していたことは間違いありません。1999年の「EverQuest」から多くのインスピレーションを得つつ、前作よりもより親しみやすく、エキサイティングな作品にすることに、その設計の多くが集中していました。皮肉なことに、よりユーザーフレンドリーなWoWと比較すると、その方向に進んだことが間違いだったかもしれません。
SOEは、ゲームの差別化を図り、開発に余裕を持たせるため、EQIIの舞台を、ノーラスの歴史に大きな変化をもたらした「大変動が起きた別世界」として売り出しました。
残念ながら、SOEが期待していたような、EQ1からEQ2への移行は起こりませんでした。実際、EQ1はいまだにEQ2よりも人口が多いままです。
映画っぽく作ろうとした
クリストファー・リーやヘザー・グラハムといった大物声優の起用や、本格的なオーケストラBGMなど、「エバークエスト II」は印象的な芸術作品として売り出されました。より映画的な雰囲気を出すために、画面の上下に黒いバーが表示されたり、映画の中にいるような感覚になるようにすべてのNPCに音声が入るようになりました。それは本当にEQプレイヤーが求めていたものだったのでしょうか?
極悪非道なまでの古典的ダンジョン
「WoW」が比較的短時間で完結するダンジョンを作ったのとは異なり、「EQ2」のダンジョンは 「より大きく、より複雑なものが良い!」という旧来の設計に基づいていました。巨大で広大な洞窟とダンジョンが勇敢な冒険者たちを待ち受けており、多くの人は実際にダンジョンの終わりまで遊べない(遊ぶ時間がない)こともありました。。